エレンディラ

エレンディラ (ちくま文庫)

エレンディラ (ちくま文庫)

 コロンビアのノーベル賞作家、ガブリエル・ガルシア=マルケスの中・短篇集。バラード「溺れた巨人」を読んでから、こっちの「この世で一番美しい水死人」も読みたいと思ってたので。それにこの暑い夏にこそラテンアメリカものを読もうじゃないかと何となく思い立ったので。関係ないけど、リンクを張っても画像が出ないものが多くてちょっと哀しいなあ。
 んで読み始めてみたら、最初に出てくるのが「大きな翼のある、ひどく年取った男」という短篇で、タブッキの「ベアト・アンジェリコ〜」を読んだ直後にこれが来るというのはバラード同様対照的で非常に興味深かった。墜落してきた翼あるものというスタート地点はほぼ同じなのに、全く違うように描かれ、全く違う運命を辿るのが面白過ぎる。こっちの方はそれはもう悲惨(笑)。見かけはヨボヨボのじいさんに羽根が生えたようなものだから全然美しくも何ともないし、墜落した先の家の中庭でとりあえず鶏小屋に入れられると、一瞬にして噂が広まって町中の人間が見物に訪れ一気に見世物小屋化。家主は観覧料取って大儲けするわ、神父はこの有翼人を悪魔じゃなかろかと思ってローマまで手紙を出すわ、病人は羽をむしって患部に当てて治療しようとするわ、弱った有翼人が死んでるのかどうか確かめるために焼きごて押し付けるわと、もうみんな自分勝手にやりたい放題で、手がつけられなくなった祭り状態。そのくせ別の見世物が来たらみんな潮が引いたように去っていって、ほとんど世話しなくなるし。ひど過ぎて笑える。
 そのくせ「この世で一番美しい水死人」では、流れ着いた水死体は村人から歓待を受けまくるのね。死んでるのに(笑)。めっちゃ膨張してるはずなのにみんな水死体の美しさに惚れ惚れして、服を着せてやったり勝手に名前を付けたり生前の彼の善良っぷりをさも本当にそうだったかのように想像しまくったり涙ながらに葬式まで行い、しまいには思い出の中に生きる水死体のために町全体を美しく作り変え出すからもうこっちもこっちで大笑いです。ちょっと異質なものが紛れ込んだおかげで民衆のヒステリー化が起こり、その騒ぎが紛れ込んだものを次第に置き去りにしてムチャな拡大を続けるところが面白い。カーニヴァルっつうか(バフチン読んでないから迂闊なこと言えません)。ホントにコロンビアはこんなところなのか(笑)?
 どの話読んでも思うけど、作者が作中人物に全くと言っていいほど同情的な視点を向けないのが面白いね。「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」とか読むと一番それが表れてるけど、人物がどんなにひどい目に会ってても全く無感覚にそれを眺めているようで、文体に全く湿り気がない。土地がその上で起こる出来事を見つめているようだって思うのは、この作品を読むときに先入観という眼鏡をかけていることの裏付けになっちゃいますかね?まあ民話的だと言っちゃうのは正しいと思うけどね。そこから生まれるマジック・リアリズム的傾向だとかそういう話は、これのあとがき始め色んなところで言われてると思う上に、自分が何かその枠をはみ出すようなことを言える気がしないのでやめときます。でもいいよねマジックリアリズム。普通虚構の世界でしかありえないようなことが現実と地続きに起こるっていうのは、言い換えれば現実/虚構という二元論を止揚するような世界認識を持っているってことだし、その認識はラテンアメリカとかの土地のみならず結構色んなところで通用するような気がしてるので。それ以前に、リアリズム的に進んできた話が何のことわりもなく浮遊してっちゃうとこ自体が面白くて好きなんだけどね。
 ドライな視点とかヒステリックな群集とかの要素を見るに、バラード「溺れた巨人」とこれの比較ってのはあながち的外れな視点じゃなかったかもとか思う。バラード全然読んでないけど、結構似てそうな気がする。バラードもガルシア=マルケスも、個人というよりは人間を取り巻く環境・状況を描きたいタイプの人なのかな。