龍宮
- 作者: 川上弘美
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2005/09/02
- メディア: 文庫
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なにやら自分らのような「人」ではない存在のお話。それは蛸だったり神様だったり、時には何百年も普通に生きている人間だったりする。以前彼女の作品について、最初っから世界がずれたまま進む、と書いたけど、今作も基本的にはその流れを踏襲している。でもずれたまま進むってことは、そのずれた世界が異様に日常的だったりするという事態も自ずと誘発するわけで、海辺で絡んできた自称蛸だった男がどんどんぐにゃぐにゃに見えてきてそのうち自分もぐにゃぐにゃになっていったり、アパートの台所に3つ頭のあるちっこい神様が棲みついていたりしても、変に違和感がなく進む。というか、作者が違和感が無いように、もしくは違和感を持たないまま書いている。そこに魅力を感じるか感じないかで、この作品、ひいては川上弘美という作家を好きになるか嫌いになるかがある程度決まると思う。
でも今作は、そのズレを生み出す何かと日常のどちらに強いにおいを感じるかというと、前者かもしれない。それか、ズレによって日常が、単なる日常ではなくなっている。妙に土着的な空気が濃いんである。ニュアンスとしては、自分らが生きているような日常が浮き上がってずれたのではなく、日常が地面に引き込まれたみたいだなあ。地方の昔話にあるような、自然と生き物のにおいがむわっと全体にたちこめている。各篇のタイトルからもわかるけど、すごく日本的。こういう作品って、英語圏などではあまり出てこない気がする。特にアメリカでは。まあ歴史考えりゃ当たり前の話ではあるけどね。
んでこれを読んで強く思ったのは、彼女は作品に特別奥行きを持たせようとはしていないみたいだなということ。それは読む上での良し悪しにはあまり関係ないけど。あとがきにも書いてあったけど、確かに内田百輭に近い。読み終わって「で、なんなの?」と言いたくなる人、言い換えれば作品に何かしらの目的、意味を見出そうとする人(繰り返すけどそれは価値の序列には関係ない)は読んでもむかつくだけかもしれん(笑)。読み取ろうと思えば読み取れる作品(例えば「?鼠」とか)もあるけどね。わけのわからぬ面白さが好きな人にはそれなりにオススメできる。でも俺も結局、彼女の作品で特に好きなのは結構色々読み取れそうな「蛇を踏む」、一番整合性がある「センセイの鞄」だったりするんだけど(笑)。
なんか彼女の作品は、わけがわからぬ割に、あまり多様な読みを許さない気がするのだが。読んだ人の感想集めてみたら意外と似たり寄ったりのことを言ってる人が多そうだな。