かわいい女・犬を連れた奥さん

かわいい女・犬を連れた奥さん (新潮文庫)

かわいい女・犬を連れた奥さん (新潮文庫)

 チェーホフの、晩年あたりの作品を集めた中・短篇集。チェーホフ初めて読んだけど、思ったより雰囲気が暗めだったなあ。とか思ったのは唯一の中篇「谷間」が鬱々とした作品だからかね。ぱっと見返してみたら他の短篇はそうでもないな。ユーモラスなものもあるし。しかしアマゾンでは何故新しい方の文庫が売られていないんだ?たまにこういう謎の事態が起こっていたりする。
 こういう非常にリアリズム的な海外小説読んだの結構久しぶりな気がするな。リアリズム的でも、どこか別世界の話をしているような感覚は全く覚えず、たぶんこの時代のロシアはこんな感じだったんだろうという印象が浮かんでくる。リアリズム短篇というとこから安直に連想して、レイモンド・カーヴァーともちょっと通じるとこあるかなあと感じはしたのだが、カーヴァーの場合は日常が次第に異様なものへと変化していったりするのと比べて、この短篇集に入っている作品はそういう人物を取り巻く環境に漂う空気が変質することってのがあまりない気がする。人物の中でどのような心の動きが起こったのか、っていうことに強く比重が置かれてる作品が多いね。
 でも人物の外側に意識が全く行っていないわけではなくて、「往診中の出来事」では工場の中でその環境から魔物的な何かを感じるというところがあったりして、なかなか印象的。この短篇では結局医者がそれを解決しようとせず、その魔物的なものを感じずにすむ自分の世界へさっさと帰ってしまうところが面白かったけど(笑)。
 ロシアの小説って、同じ人物でも色んな名前で呼ばれるし、それがどれも日本語にはないような語感で、しまいには似たような名前の人も多く出てきたりして、ちょっと紛らわしい。まあこういうとことかロシアという国から連想する寒々しさとかがロシア文学の人気があまりない一因であるようにも思うけど…。でも今日の授業でも話が出たけど、こういう名前だとかはそっちの文化圏ではごく普通のことなんだよね。んじゃ日本は外からだとどう見えてるんだろ。少なくとも日本人の名前も充分紛らわしそうだな(笑)。
 しかしやっぱり自分はどこか異様であったり奇妙であったりする作品が好みらしい、と改めて実感する。全体として、俺のずっと心に引っかかり続けるような何かはあまり感じなかった。「グレート・ギャツビー」とか「パリ、テキサス」とかが大好きなように、結構ストレートな哀感も好物なんだけどね。