デ・キリコ展

 東京駅にある大丸の中の大丸ミュージアムにて。それなりに混んでたなあ。これも今週か来週辺りで終わるようだったので観に来られて良かった。この次はどうやらクレー展のようなのでそれも楽しみ。
 形而上絵画、っていうコンセプトを理解しているとは言いがたいし、それとシュルレアリスムとの違いもあまりわかっていないという体たらくなのだが、それでも少し思ったことを。形而上絵画の世界ってのは、この形而下の世界とは異なったロジックが働いているのだろうけど、時にそれが一つの画面の中で共存しているのが面白いと思ったっす。例えば、形而上絵画によくあらわれる幾何学的なモチーフが中央に据えられている部屋の窓の先にニューヨークのビル街が見えたりする絵があるのだけど、その異なるロジックがひとつの枠の中に共存しているところに、ただ単に一つの世界に閉じこもった幻想とは違う方向性を感じた。
 で、その形而上ってのをあらわす際に、さっきも書いたけど幾何学的なモチーフを使うのも興味深いなあと。形而上のロジックは形而下からは認識できないものなのかもしれないけど、そこにロジックが存在するということだけはわかる、そのことをその幾何学的モチーフで図の中にあらわしてたりすんのかな?それは同じモチーフ(例えばクロッキー人形のような形の人物像、デッサンの練習に使うような石膏像など)が繰り返し登場することも同じ効果を生み出してるのかもしれないけど。シュルレアリスム絵画のような無秩序が全くないんだよなこの人の絵。それに、そのようなモチーフに神話などに登場する人物の名前を冠するなどしているところからすると、彼の作品の中には物語っていう秩序も存在するように思う。奇妙な鎧を着た顔のない人物も、そこに物語を基に持つ名前が付けられている限り、単なる空想から生まれ出た根が無いまま浮遊する存在ではない。そういやシュルレアリスムってのは現実からテレポートして異世界に行くのではなくて現実からそのままスライドしていくという概念であるようだけど、この形而上絵画っていうのは形而上/下という区別がしっかりと存在する世界を前提としているんだろか?勉強不足なんで迂闊なこといえませんけど。
 でもやっぱりそういう理論以前に、造形的な魅力をどうしても感じてしまう。時にミューズと名を付けられているような例のクロッキー人形みたいなモチーフだとか、がらんどうのイタリア広場の奥に煙突が見えその前を汽車が走っている、「来てはいけないところに来てしまった」って感じさせるような風景だとか、三角定規だとかの製図道具をくっつけまくったような謎の物体が置いてある部屋だとかを眺めているだけでふふふふふ、とヘンな笑いが出そうになる。やっぱり昔からこういう異界だとかミニマルな堅固さを感じさせるものには弱いみたい。