ヤン・シュヴァンクマイエルの世界

 ではシュヴァンクマイエルの感想を。今日観たプログラムで上映されたのは、「ジャバウォッキー」「オトラントの城」「アッシャー家の崩壊」「アナザー・カインド・オブ・ラヴ」「肉片の恋」「フローラ」「スターリン主義の死」「フード」。全て短篇っす。や、観に行ってよかった。
 「ジャバウォッキー」はもうほんと最高でした。まあミルハウザーで卒論やるようなやつがこれを嫌いなわけはないと思うけど(笑)。ジャバウォッキーの詩に乗って人形やら服やらが動き出し…みたいな内容。彼の奇想を思う存分味わえる一作かと。ユーモラスなのも素晴らしいっすね(猫ちゃんが最高)。それにしてもこれこそ「アニメーション」。animateは「…に生命を吹き込む」という意味だけど、この作品では生命のない存在が生命を得て動き出す。そうした人形がまた人形を生み出したり人形を食べたりと、生命の垣根が幻想を閉じ込める部屋の中でグチャグチャに崩れていくのが面白い。その痙攣的なアニメーションの動きも含め、異様なエネルギーを感じたっす。
 「オトラントの城」は、同名の小説をネタにした(架空の?)ドキュメンタリーを、小説の切り絵アニメーションと交差させる形でまとめたもの。これはウケた。小説の方が悲壮な展開になるのと反比例するように、モデルとなった可能性のある城の調査をするおっさんの作業の様子が活き活きとしてきて、それが混ざったズレが笑えます。最初おっさんを皮肉ってんのかと思ったけど、最後のオチを見るにむしろシンパシーを覚えるキャラとして描いてるのかな。
 「アッシャー家〜」も素晴らしかった。物語の朗読(?)に合わせて、その流れを追うような映像を廃墟を舞台に作ったもの。「全ての無機物にも知覚はある」という台詞は、シュヴァンクマイエルの一つの志向を見事に言い表した言葉だと思う。彼の映像では無機物が命を与えられ、動き出し、崩れ落ち、雄弁に語る。この作品ではそれが見事に詩的な圧迫感・恐怖感と結び付いていて、結構衝撃的だった。…原作読もう…。
 「アナザー〜」は、ヒュー・コーンウェルという人のミュージッククリップ。80年代なダンスポップに合わせてヒューさんと粘土女がグニグニ動く。やってることはまんまシュヴァンクマイエルなのに、ポップな曲に妙にマッチしてるのが不思議。「肉片の恋」はその4コマ漫画的な短く早いテンポで来るオチに笑った。ヒデエ(笑)。「フローラ」はたった24秒の作品なのにかなりの迫力があった。ベッドに縛られた野菜人間が徐々に腐っていくというだけなのだけど、その異常な切迫感がグロテスクで、カフカに通じるような恐怖を感じた。24秒でこんだけの印象を与える映像を作れるのはすごいっすわ。
 「スターリン〜」は、相当うまく出来た風刺劇。ここまで高度なレベルでユーモアと社会批判と造形的魅力が結実している作品はあまりないと思う。スターリンの頭の切開は言うに及ばず、労働者人形のベルトコンベアのくだりとか、写真・映像の使い方とか、チェコの歴史をほんの少ししか知らない自分にも充分伝わるくらい明快に、かつ非常にウィットの効いた皮肉を持って政治を批判する。これスターリン生きてる間に作ってたら殺されてただろうな(笑)。
 「フード」は、朝・昼・夕の3部構成で、シュールな食事場面を描いた作品。朝食はなんか榎本俊二を思い出す人間カラクリがメインの劇で、かなり笑えた。さっきは無機物が生命を与えられて云々とか書いたけど、この作品ではむしろ人間がモノ扱いになってる(笑)。昼食はウェイターが注文を取りに来ない、でもお腹がすいた、どうしようというとこから始まる寸劇。大体オチは読めるけど実際に映像でやられると面白いね。食事する二人のキャラの違いも。夕食は色んな調味料をかけまくって何かを食っているおっさんから始まるちょいグロめの一品。液体ベチャベチャ、生々しいパーツと、(多分)彼らしいキモ悪さが味わえます。
 本編終わった後日本の立体アニメーション特集が30分くらい上映された。あまり好みなものはなかったけど、浅野優子さんという人の「蟻の生活」という作品はかなりの美的オブセッションを感じてなかなか素敵でした。イメージの凝集がさらに強化されて彼女の幻視するヴィジョンがさらに明確になったら、かなり化けそうな人だと思うっす。