プラート美術館展

 というわけで駆け込み美術展第3弾。これに至っては閉館約1時間前に入館した。いくらなんでもギリギリにも程がある。しかもその次にシュヴァンクマイエルが控えていたのでかなり急いで観て周った。出来ればもうちょっと時間的にも精神的にも余裕を持って観たかったなあ。
 この展示は、今学期授業を取っている某教授が企画に絡んでいるようで、実際に授業でもプラートの美術について説明があったので、少し予備知識があった分急いで観て周っても大体の話の流れはつかめたから助かった。この展示は、プラートという都市の性質、文化的背景、歴史などが美術品を鑑賞する上でかなり重要になってくるものだったので、予備知識なしで観に来たら解説を全てちゃんと読まなければ楽しめなかったかもしれない。
 というわけで、ちょっと授業で知った事柄をメモッときます。まずプラートという都市が地理的にどういう位置を占めているかがかなり大きい。ここ、フィレンツェとかなり近いのよね。15キロしか離れてない。これがプラートの地元美術を「周縁」に押し留めた最大の要因だとか。でも毛織物によって経済力はあったらしく、それをうらやんだフィレンツェの政治力に屈服して1351年にフィレンツェ共和国に組み入れられる。その後君主制やら何やらを経て、1992年にようやくフィレンツェ県から独立したプラート県になったんだと。
 んで、14〜16世紀にかけては、絵画の注文が大方フィレンツェの方に行ってしまう上に、注文があってもフランチェスコ・ダティーニに代表される商人特有の計算高い注文ばかりで、メディチ家のようなパトロンがおらず、画家が育たなかったそうな。そしてフィリッポ・リッピが15世紀半ばに工房を開いた辺りでも、ほとんどの注文がそこに集中してしまったために、地元画家の成長を妨げ、この工房がなくなったら再び低迷してしまったという皮肉な事態に。16世紀近くからようやく地元画家が増えてきたとか。
 そんなプラートが、都市としての地位を向上させるために拠り所にしたのが聖帯。これは聖母マリアが被昇天する際に、使徒トマスに託したという帯のことで、これが今のプラートの大聖堂にあるんすね(当時からあったんかな)。その聖帯伝説を売りにして、聖堂を大聖堂として認められるよう、そして「都市」として認められるようにプラートは頑張っていたようで(確か17世紀に「都市」として認められたのだったっけね)、プラート絵画の大半を占めるキリスト教をモチーフにした作品の中でも、数多くがこの聖帯をテーマにしている。そうでないものでも、聖母マリアが主題となっているものの数が相当多い。キリスト教絵画のモチーフでよく用いられるものは、キリストとマリアがその首位を争うと思うのだけど、この展示に出ていた作品では、キリストが出てきていたとしてもそれはほとんど幼いキリストがマリアの腕に抱かれている「聖母子像」という形で。明らかにマリアの方に主眼が置かれてるんだよな。聖帯伝説、そして作品を生みだした街に絡む外的要因が、いかにこの街の美術に大きく影響していたかわかるってもんです。というか、ちょっと一般的な話になるけど、信仰を媒介にしているせいか、美術と経済・生活が非常に近しい関係にあるね。まあそりゃあ生活と言ってもアッパークラスの一部の生活に限られていたかもしれないけど、美術が当たり前のようにそれらと連動するっていう風土もなかなか素敵だと感じないでもない。
 でもね、そういう背景・事情を全て吹き飛ばすほど素晴らしい作品に出会えましたよ。フィリッポ・リッピ(そしてフラ・ディアマンテ?)の手による「聖帯を授ける聖母」。この展示の目玉の一つで、入って少し行ったところに展示されてた。写真で観てもおそらくピンと来なかっただろうけど、実物を目の当たりにして思わずフリーズしました。人物の表情が素晴らし過ぎる。特に一番左の聖マルガリータ。彼女の顔に、全てを真空状態に取り込む絶対的な静寂を見ました。参った。真に優れた芸術作品は、文化的前提の差異だとか時空だとかを全て貫通して鑑賞者の胸に突き刺さるもんだと改めて実感。これを観られただけでも来た価値が充分にあったっす。