ベアト・アンジェリコの翼あるもの

ベアト・アンジェリコの翼あるもの

ベアト・アンジェリコの翼あるもの

 イタリア人でありつつもポルトガルとかインドとかの話ばかりするタブッキさんの短篇集(いやもちろんイタリアの話も色々してます)。ただ、彼が「欠けこぼれた小説や短篇として、貧しい仮説に発するものに、あるいは欲望のまやかしの投映にすぎない」と語るように、かっちり作品として完成されていないとも読めるものやいくつかの掌編も含まれており、言うなればB面集的なものだろうか。でもこれ、すごくよかったです。
 もううっとりするほど文章が端正。ページをめくればそれがわかる。前半に収録されてる作品が特にね。表題作とか『合成された過去 三通の手紙』とか。もってまわった言い回しになりそうな表現が、この人にかかるとするすると水を飲むように入ってくる。それもちゃんとある種の麗しさを保ったままで。読んでてとろけました。
 表題作は本当に素敵な短篇だと思う。修道士グィドリーノの元にある日、天使なのかなんなのかわからないが「翼あるもの」が遭難して降りてくるという話。こういうモチーフを神聖にもグロテスクにもせず、ほのかに魅惑的な幻想を保ったまま非常に素朴に描いているので、静かに心の琴線に触れた。一陣のそよ風の如し。ちなみに作中に一回も出てこないベアト・アンジェリコってのは何かっていうとこのグィドリーノであり、日本ではフラ・アンジェリコという名前のほうがおそらくよく知られている画家で、「受胎告知」などは見たことある人も多いと思う(と、あとがきにありましたが俺もその絵を見たことあるだけで知りませんでした)。
 あとがきで、『以下の文章は偽りである。以上の文章は真である。』というタイトルや、「作家は嘘をつくものです」という台詞などの、触れるものを宙吊りにするような命題をタブッキ全体にいえる性質とからめて、作品を「欠落」させることによって作品を完成させるなどといった彼の方法を分析してあぶり出していたが、なるほどなあと。確かにタブッキには、内容面でも形式面でも、何か一つねじれが加わっているような気がする。それによって読者を謎の地平に引き込み、後は君たちに任せたと投げる、タブッキにはそういうところがあるのかもね。それはすなわち作者と読者の対話が強調された事態だとも言えるかもしれんし、『以下の文章は偽りである。以上の文章は真である。』で見られるような対話こそがタブッキの作品の目指すところなのかもしれない。読者によって作品は完成する、ってか。表題作も、グィドリーノを読者、翼あるものを作者と考えたら、作品の完成に関する彼のスタンスをそのまま表してる作品ってことになるのかもしれないね。あーでも作家は嘘をつくって言ってるしなあ(以下無限ループ)。