トーマの心臓
- 作者: 萩尾望都
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1995/08/01
- メディア: 文庫
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思いっきり全篇ホモセクシュアル(肉体関係はないが)なので最初は入り込めなかったが、終盤に近づくにつれ救いと許しとしての愛の話になっていくのでびっくりしましたよ。この結論には大いに納得がいったし感動した。トーマは全て察した上で受け入れ、あの行動に至ったんすねえ…。作中でも示唆されてるが、彼はユーリにとってのキリストだなあ。そういう意味ではこの作品は、ユーリの回心の物語としても読めるね。つうかそういう話か。日本に育った人間にはいきなり神を出されてもピンと来ないが、このように身を持った人間のドラマの中から立ちのぼってくると神が存在する理由も実感できる気がする。
それにしても女性がほっとんど大きな舞台に上らない作品だね。一応ギムナジウムの外には女の子がいるっちゃいるのだが、ほとんど話には関わらないし、エーリクの母親も途中で死んでしまうし、オスカーの母親も死んでるし。エーリクの義理の父は母の死後エーリクとわかりあうしね。作者は何で、愛を描く際に女性を排除(と言ってしまってもいい気がする)したんだろう。完全に理想的な劇を作り出すためにはそうせざるをえなかったんだろうか。彼女が女性であるから女性を描くにはどうしてもリアリスティックな雑音が紛れ込んでしまうんだろうか?この作品がものすごくキッチリとまとまっているのにはそのあたりが関わっている気がしてならない。萩尾望都は(というか少女漫画家は基本的に)少年という存在に最も理想を投映しやすかったのかもしれんね。
この作品がキッチリまとめられている、という裏付けには、やっぱりエーリクが挙げられる。まず彼の登場が運命的すぎるってのもあるし、彼がどうしてもトーマになっていってしまうこともある。まず結論が先にあって、それに向かうためにエーリクが必要だったという印象。ユーリはエーリクを経なければトーマの愛を完全に理解することができなかったのかなあ?まあオスカーはその役柄ではないということは何となくわかるんだけど。それにトーマがいない状態でトーマの愛を描くためにエーリクが必要というのもわかるんだけど。ユーリは最後に気付いたからいいが、気付かずに生きて死ぬ人はどのくらいいるんだろう、とか、作品と離れたところに思いを馳せてみたりする。
フキダシの外の傍白がものすごく多いのが面白い。大塚英志が書いてたこととかぶるけど、この人は何よりもまず心を描きたかったんだろうなあ。