ドレスデン国立美術館展

 では簡単に感想を。最終日だったけど、10分待ちですぐ入れた。いつぞやのゴッホ展とは大違いだ。
 こういう美術館展って、絵画だけじゃなく装飾品なども多く展示されていて、大抵俺はあまりそちらの方には関心が行かないのだが、今回は逆にそれがとても興味深かった。冒頭で昔の地球儀やら測量器具などが展示されてて何故か目が惹き付けられる。おそらくその造形美と実用性の両立にだろうと。昔のこういう実用品ってのは、その用途を全うするのみならず、一作品としてのデザインも明らかに追求されてる。それは三角定規に至るまでそう。おそらく、それを使う対象がごく少数、しかも貴族に限定されていたからこそこの二つがここまで強烈に並存しているのだと思う。何だかんだでそういう階級差が昔より小さくなり、製品も大量生産が可能になった今、美術展に出品される実用品ってのはどの程度存在しうるのかなあ。まあ俺はデザインと大量生産の関係については、その辺の通史的な知識がほぼ全く無いので何とも言えないけど、ここに展示されてるものが使われてた時代は実用品の存在自体が贅沢品と重なっていたのかなあと。
 ドレスデンでは異国文化が好まれていたようで、セクションもオスマン・トルコ、イタリア、フランス、中国と日本などに分かれて展示されていた。東洋系のものはオリエンタリズム爆裂で面白いなあ。つくりは普通の西洋箪笥なのに、その上に描かれてる柄が全部中国風のものとかあったりして(笑)。あとかの有名な(つっても俺は名前をよく聞く程度の知識しかなかったが)マイセン磁器が生まれた背景にはダイレクトに東洋の磁器の影響があったのね。その初期作品とかそのまんま中国とか日本の器とおんなじで、これをドイツの辺りの人が作ったのかと考えると失礼ながら少し笑えた。模倣は創造の母、というのはやはり真実であると思う。
 それでは絵画の方はダメだったかというと全くそんなことはなく、面白かった。フェルメールやらレンブラントも非常によかったけど、強く印象に残ったのはむしろ他のあまり有名じゃない人たち。ベルナルド・ベロットという人が描いた風景画が妙に好みだったのだが、彼の風景画には、実際にはありえない構図で描かれているものもあるという注釈が書いてあった。それを見ていてまた虚構と現実という二項対立が頭に浮かぶ。構図の話もそうだが、他にもそれを想起させる要素はある。例えば街を描いた風景画には人が何人も描かれているけれど、それは本当にその人たちがその配置とそっくり同じようにその場にいた一瞬をそのまま切り取ったものではおそらくない。かといって、これらの絵からは現実と異なるものを描き出そうという意志は感じられない。そこから、現実を映し出すことに対する絵という媒体の不可能性(絵は一瞬で描けるものではないし人間の脳も一瞬を写真のように正確に記憶するのは難しいしね)だとかも感じるけど、逆にその特性からくる、絵だからこその美しさも存在するんだよな。現実を描こうにも現実を踏み台にしてジャンプせざるを得ない、しかしそのジャンプした目線からしか見えない美しさ。そういうものがベロットの風景画にはあった。多分。
 あとアードリアン・ツィンクという人が描いた風景画も非常に面白かった。何がって、そのタッチ。200年以上前に描かれた作品なのに、まるでポスター加工した様なポップなタッチなんだよな。全体をセピア色にするという画風の人だったらしいんだけど、単にセピア色にしただけじゃなくて、同時にリアリスティックに描くなら必要になるであろう対象の表面の質感、その細かさをかなり大胆に単純化してるような。でもそれは大雑把で雑になったんじゃなくて、妙にパキッとした端正さがある。こういう絵描いてた人もいたんだねー。