ガープの世界
- 作者: ジョンアーヴィング,筒井正明
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1988/10/28
- メディア: 文庫
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子供は欲しいが男とは一緒にいたくないと考える看護婦ジェニーが、脳を怪我して白痴となった死にかけの軍人ガープと「欲望なし」の交渉を持ったことで産まれた子供T・S・ガープの生涯を描いた作品。死と暴力にまみれっぱなしの話なのに妙に雰囲気が明るく、人物もみな滑稽で欠点もあってどこか人間くさくて、そんな感じで進んでいく人生の中から愛だとか暖かみだとか悲しみだとかがにじみ出てきて、自分の人生はさすがにここまでムチャクチャな出来事ばかり起こりはしないけど多分この小説で描かれる何か真実のようなものは自分の人生でも真なんだろうと感じるし、だからこそこの小説に愛着を抱かずにはいられんのです。
というような感想を、この作品を読んで気に入った人の多くは抱くと思うんですが、実際俺もそう思ったっす。新しい読みを何かしら提示したいと思いつつ結局誰もが言いそうなことを書いてしまったってことは、自分の読みが先入観に囚われていることの表れか、はたまた作品の奥深くまで潜水するために必要な読者としての肺活量が乏しいことの証明か、とか何とか考えてちょっと凹むのですが、実際俺の中に前述のような考えが沸き起こったのは事実だし、その印象こそが大切に感じられるということも間違いないわけで。このような、軸の太さと明快さを備えた小説は、結構一回目読んだ時の印象を縛ることが多いので、その流れでどうも小説を読む上での自分の立ち位置を考えてしまいます。
しかしやっぱり言いたい。この作品に詰まっている、愛と暖かみと悲しみ、人生について。この小説はガープの人生を追う形で書かれてはいるんだけど、それは彼の人生のみを描いているというよりは、彼の人生というところにビデオカメラを設置して、時にはその位置をちょっとずらしつつ人間の人生を見ているという感じ。そのカメラには、彼の愛する人、嫌う人、ちょっとだけ関わった人、その他諸々の人が映っては消える。そのカメラは、映った人を通り過ぎるまま放っておきはせず、その人がその後どうなってどう死ぬか、まで、人によって分量の差異はあるものの大体の場合伝える。そういう風に流れていく物語を見ていると、全ての登場人物が、カメラが置いてある場所の人物=ガープのために存在しているわけではなく(下手な物語だとストーリー、主要人物のためだけに登場し消えていく人物が出てくる事が多いと思う)、それぞれの人生を生きて死んでいる、というように思える。なんかね、どんな人間でもその人生を生きて死ぬ、っていうだけで、その人に対して何かしら認めるべきところがあるんじゃないか、って思わされるんだよなあ。そこが愛しくもあり、暖かくもあり、悲しくもあるんではなかろかと。なんか抽象的でぐずぐずなこと言ってるけど、まあとにかく、この作品はなかなか染みますよ。
あと作中作が面白い。友人も言ってたけど、作中で傑作と言われてる作品はちゃんと傑作だし、評価がなんとも微妙なものは実際なんとも微妙に書かれてる(笑)。あ、ちなみにガープは作家です。「ペンション・グリルパルツァー」は実際いい短篇だと思う。まあまず俺は熊というモチーフとか、便所のドアの隙間から見える手だとか、ホテルの廊下の暗闇だとかの要素に萌えてしまうわけなんですが(笑)。それと作中作ではないけど、「ひきがえる」の象徴的な使い方がどうにも気に入ってしまった。