JOJO広重ライヴ@東大駒場祭

 校門入って左に行ったとこにある特設ステージにて。ステージの周りには1年生や2年生、サークルなどの屋台がずらあっと並んでいるので、こんなところでああいう音楽が鳴り響いたらあの希望と欲望に満ち溢れたヤングメン&ウィメンは一体どういう心持ちになるのであろうと想像する。しかも彼の前にステージに立っていたのは、なんか武富士ダンサーズみたいなお姉ちゃんたちであり、何というか時間的にも空間的にもズレまくってて早速わけがわからない(笑)。
 と言っても、開演時間近くなるとだいぶソレっぽい人たちが集まってきた。やはりここだけ明らかに空気が違う。んで、ドラムとギターヴォーカルのセットのみというシンプルなステージにJOJO氏登場。この「ズレ」を彼自身充分感じているようで、「学園祭にはあんまいい思い出がない」と穏やかに語る。この空間の中で大半を占める「ちゃんとした人」の事を否定するつもりはないとも語る。そして彼はここでライヴをやる。両方の場の中間で宙ぶらりんになる、ある意味典型的ネクラ大学生の自分はとりあえずステージを観ることに集中する。
 んで、スタート。ギターはSG、アンプはジャズコーラス。巧みにコントロールされたノイズが屋台の売り子の声をかき消す。や、うまい。ギターでここまで統制されたノイズを出してる人を観たのは初めてかも(ヨラテンゴのアイラはまたちょっとタイプ違うかな)。そして「死んだ方がましだぁぁあ」という叫びが駒場の空に反響。ステージが本格的に亜空間と化し始める。どんどん加速していくズレに思わず笑いが出てしまうが、そこには西洋の東洋趣味にも似た、安全圏から観ていることによるある種の差別的好奇心が混じっているんじゃなかろか、とか考え出して複雑な気分になる。この人を笑う権利なんかこれっぽっちもないはずなのだ。
 何曲かやった後MCがちょっと挟まれる。少なくとも今までの学園祭とは感触が違うようで安心。観ている自分も、普段こういう音楽あまり聴かないのだが、間違いなく引き込まれている。こんだけ集中してライヴ観るのって久しぶりだ。
 そしてライヴは続く。ちょっと前の方にギャルの4人組が陣取る。歌詞を聴いて笑っている。ステージの右の方では、次にステージに出るのか、ヒップホッパーなおにいちゃんとおねえちゃんがわらわら集まってくねくね踊っている。ステージの前の方には、太陽の光に弱そうな男性陣に混ざって下北や高円寺にいそうなプチオサレ女性陣。周りには依然としてお好み焼だの今川焼きだのクレープだのの屋台。そしてどうやらここは東大らしい。何というか、闇鍋状態。
 そんなこんなで「生きている価値なし」で終演。いいライヴだった。ただ、俺はこのライヴ・この音楽に感動する資格のある人間なのか、という疑念が喉に刺さった魚の骨のよーに残る。
 家に帰ってグチャグチャ下らん思考を巡らした後にミクシを覗いたら、主催者の人が来ていた(笑)。やはり開始前、複雑な心境が多少あったらしい。そしてその後に、JOJO氏の日記を読んだ。ちと感動した。発信者と受信者がいいライヴだったと思えたなら、やはりそれはいいライヴだったはずなのだ。

生きてる価値などあるじゃなし-Jojo Hiroshige31 anniversary caree

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