岡本太郎の視線展

 CYHSYのライヴに行く前に写真美術館でやってたこの展覧会に行ってきたのでその感想を。岡本太郎は一般には画家として知られているけど、この展覧会は彼が撮っていた写真を追っていくという趣旨のものです。
 俺はそもそも彼が写真を撮っていたということさえ知らなかったので、色々と興味深かったです。まずこの展覧会の最初の方では、彼がパリにいた頃に親交のあった写真家、ブラッサイやキャパ、マン・レイなどの写真が展示されてました。前にここでやってたブラッサイ展を見逃した身としては結構ありがたかったですね(笑)。ブラッサイは夜の撮り方がすごくうまいなと思いました。古いサスペンス映画のワンシーンのような、どことなく粋な空気のある緊張感があります。
 んで岡本太郎の写真ですが、本人も語るとおりプロの写真という風情ではなく、素人くささの漂う素朴な写真が多いです。でもそこに彼の哲学が強く反映されている気がしました。うろおぼえですが、会場で見た彼の言葉によると、彼は「写真っぽい写真」を嫌悪し、写真を「写真を撮るため」に撮るのではなく、あくまで彼の視線をあらわすものとして使っていたようです。彼の写真の素朴さは、作品としての完成を目指した写真ではなく、彼の眼差しの記録であるからこそ生まれているのではないかと。
 では彼は何を見ていたのか。自分は、彼の視線は途切れることなく「人間」に注がれていたのではないか、と感じました。彼が写したのは、地方都市の祭りの様子(例えばなまはげとか)だとか、土地の伝統を受け継ぐもの、もしくは市井の人々が主です。土地の歴史の中でごく普通の人々が日常を生きる様が、かなり素直に写し出されている写真を見て、最初は彼の絵画・彫刻作品との違いに少し驚きました。でも、見ているうちに何となく腑に落ちてきました。他の作品においても、彼は異界を見つめていたのではなく、あくまで人間の世界を見つめていたように思えるからです。彼の絵に溢れるエネルギーは、確かに抽象的・図形的なフォームをとってはいるものの、対岸の世界の遠い爆発ではなく、こちらに飛んでくるミサイルのような強烈さがあります。そのエネルギーと、写真にあらわれる彼の生活への眼差しは、その見た目にこそ大きな違いはあれど、底流の部分では「人間」というところで繋がっているのではないかと。写真を見たことで、岡本太郎がそのミサイルをあくまでこちらを見据えて発射していたことを確認できた気がしました。それだけでも、この展覧会に行った価値があったように思います。