ユーモアについて

ユーモア作家は、人生の矛盾や世の中の穢さや賤しさにめげずに人生の意義を認めなければならぬ。醜悪なるこの現実にあっては愛は不毛であると認識しつつ、しかし同時に愛の可能性を信じなければならぬ。この世の不条理を深く嘆きながら、一方ではその上に超然と居直らねばならぬ。悪を憎みながら、「悪あってのこの世さ」と悪と調和しなければならぬ。ひとことで言い尽せば、両極に足をしっかりと踏まえてバランスをとりつつ、躰の中心は常に両極の真ん中に置くようにしなければならない。
                           「ボートの三人男」文庫版あとがきより

 というわけで、前掲の一冊のあとがきより、井上ひさしの言葉を。自分がヴォネガットとかのユーモアを好きになる理由が、ここに簡潔に言い表されてると感じました。この両極を踏まえていることで生まれる皮肉とペーソス、何だかんだで最終的に感じられるポジティブさはとても好きだし、どっちか一方しか描かない作品はあんまり好きになっていない気がします。作品だけじゃなく、人についてもそうかも。というかむしろ、俺がこういう風に生きたい(笑)。